基礎知識・用語解説

 今でこそいっぱしのファンを気取っている約翰ですが、このジャンルにハマるまではメソアメリカ・アステカというような用語についてほとんど知りませんでした。なので興味を持ってから調べた訳です。っていうか、まだまだ学習中です。

メソアメリカとは

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 メソアメリカMèsoaméricaのメソとはギリシア語のmésos「中間、中間の」の連結形なので、メソアメリカは訳すなら「中間アメリカ」とでもなります。
 「中央アメリカ」との違いは何でしょうか? 中央アメリカ(中米)はCentral AmericaまたはMiddle Americaの訳語ですが、厳密にいうとこの2つの示す範囲もまた異なります。歴史・政治的概念であるCentral Americaは、19世紀初頭にスペインから独立した中米連邦の名前に由来し、範囲は現在のグアテマラ・エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグア・コスタリカの5ヶ国でしたが、後にパナマとベリーズも加えられました。一方、地理的概念であるMiddle Americaはリオ=グランデ川以南のメキシコからパナマ地峡までを指し、アンティール諸島を含む場合もあります。メキシコ全体は地理的には北アメリカに属しますが、スペイン語圏であることやアングロアメリカとの文化的な相違点から、中央アメリカに含めることもしばしばあります。そして、メソアメリカは文化領域概念を表す用語で、先スペイン期(スペインに征服される以前の時代)の考古学・民族史の分野で提起されました。本来この概念は先スペイン期に関するものですが、現在では時代の制約なしに用いられています。

 ドイツの民族学者キルヒホフは中米地域「高位の農耕文化」を持つ先住民が居住していた範囲をメソアメリカと命名しました。この「高位の農耕文化」とは、トウモロコシ・インゲン豆・カボチャ・トウガラシを基本とした農業複合体です。
 メソアメリカの地理的な境界線は、南はホンジュラスのモタグア川河口~ニカラグア湖~コスタリカのニコヤ湾に至る線、北はメキシコのパヌコ川~レルマ川~シナロア川に至る線とされています。しかし、その領域は固定したものではなく、特に北部の乾燥地帯における境界は、農耕の条件を左右する降雨量などの環境の変化を敏感に反映して変動しました。
図版引用元:『メソアメリカ世界』小林致広編/世界思想社/1995 (着色は引用者による)

アステカとは

 そういえば、何の気なしに使っている「アステカ」という単語ですが、よく考えたらその意味するところは結構曖昧ですよね。という訳で、当サイトにおける用語の定義について整理してみます。

アステカ人  <広義>
後古典期後半のメキシコ盆地に居住した人々の総称
 <狭義>
「メシーカ人」と同義
 ※ 当サイトでは、特に断りがない場合は広義の用法
アステカ王国 15世紀前半に結ばれたテノチティトラン・テスココ・トラコパンの三都市同盟(エシュカン=トラトロヤン)を基盤として成長した政治勢力。
アステカ王 テノチティトランの王(ウェイトラトアニ・大首長)。
テノチティトランが三都市同盟の中心であったことから、テノチティトランの王=アステカ王国の王とする。
アステカ時代 考古学上の時代区分。1200~1400年をアステカ前期、1400~1521年をアステカ後期とする。
アステカ文化 アステカ時代のメキシコ中央部の文化の総称。
メシーカ人 北方から移住してきたチチメカと総称される民族集団のひとつ。13世紀ごろメキシコ中央部に到達。
アストラン(具体的にどこかは不明)を発祥の地としたため、当初はアステカと称していた。
テスココ湖上の島にテノチティトランとトラテロルコの2つの都市を築いた(1473年以降、トラテロルコはテノチティトランの従属都市となる)。